うだるような暑さで今にも路傍の干からびたミミズのようになりかねない
そんな制作の渡邉です。
いつの間にやら夏ですね。
夏と云えば海!
海と云えば水着!
そして水着といえば―――幼なじみ!
……ええ、皆さんの頭の中ではクエスチョンマークが脳裏を埋め尽くしていることでしょう。
そして、この帰結に納得してしまった貴方!
貴方は間違っていない。貴方は素晴らしい人です。
その考え方を忘れないで。いつかその考え方がこの世から戦争をなくす切っ掛けとなることでしょう。
というわけで(?)15話放映となりましたわけですが、
この回、自分的には最終回染みて最高潮を迎えた話数だと理解しております。
何故かといえば、ええ……
「日渡洋輔と・・・・・・結名が・・・・・・幼なじみ……だと……?」
この設定を聞いた瞬間、自分の脳内では14・15話の放映スケジュール等を脳内にインプットしていた
のは言うまでも無いことでしょう。
聞けば、結名と日渡洋輔は聞けば一緒にお風呂に入れる頃からの幼なじみと言うではありませんか。
これはもう既に、世にカテゴライズされる幼なじみの中でもAランクに相当するものではありませんか!
―――幼なじみ、それは世に存在する設定において既に使い古された類のものです。
古くは『伊勢物語』等にも見られるほどのものですから、正に古典と言えるものでしょう。
幼なじみが恋仲を実らせることに『筒井筒』という言葉を使うのもその伊勢物語から来ているそうです。
メインヒロインが幼なじみというのも、多くのお話で見られました。
確かに「幼なじみ」という設定は使い勝手がよく、物語を回す際に重宝されますね。
ですが、最近はその扱いが粗末になって来ていると私は感じます。
例えば、幼なじみという設定上、主人公と比較的近いポジションにいて丁度いいからと
他ヒロインへの当て馬として使われ、結局主人公は他ヒロインを選んだりなど、
ここのところ、幼なじみという設定は只の物語を回す道具になり果てている気がしないでもありません。
確かに、ウェスターマーク効果的に、同郷出身同士が結婚する割合は低いという
統計的事実は有り、リアリティを考えるなら、物語的にくっつかせることは、否ともいえるのかもしれませんが・・・。
世間的に幼馴染というのは、現状、反命題的な段階に有るのでしょう。
ですがここ最近幼馴染設定は再興しつつあるのでは、とも感じます。
反命題から止揚の段階に移行したとも言えるのでしょうか。
いずれは真命題に辿り着く(メインヒロインが幼馴染ヒロインという物語が世間を埋め尽くす)こともあるのやも・・・。
いずれにしても『花いろ』の結名と洋輔君には、将来的には結ばれてほしいな、
と自分は勝手に夢想しております。はい。
ーーと、すみません。こんな幼なじみ談議につき合わせてしまって申し訳ないので、
夏に合った納涼的な絵を一つ描いてみましたので、どうぞご観覧下さい。
幼なじみ最高!

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